「頑張りすぎる先生が壊れる前に」──探究担当者が燃え尽きる“兆候”と、チームでできる予防策

目次

熱心な教員こそ、静かに壊れていく──“燃え尽き症候群”の兆候とは

教育現場には、日々の授業だけでなく、学年運営、行事、進路指導など、担うべき業務が山のようにあります。そんな中で探究学習の担当者になるということは、“既に忙しい中で、さらに新しいことを開拓する役目を担う”ということです。

だからこそ、本気で取り組む教員ほど、見えない負荷を抱えやすい。
しかもそれは、声を上げることなく、静かに、じわじわと忍び寄ってきます。

ここでは、実際の現場で私たちが感じ取った、「燃え尽き」の前触れとも言える4つの兆候を紹介します。

● 兆候①:完璧主義になる(他の方法を受け入れにくくなる)

熱心な先生ほど、「絶対に良いものにしたい」「生徒のために最善を尽くしたい」と考えます。
それ自体は素晴らしいことですが、疲労やプレッシャーが積み重なると、次第に「柔軟性」が失われていきます。

  • 他の教員の進め方を受け入れにくくなる
  • 小さな不備にも過敏になってしまう
  • 「それじゃうまくいかない」と否定的な反応が出る

これは、実は“視野が狭くなっている”サインです。心と頭に余裕がなくなっている時、人は“唯一の正解”にしがみつきたくなるのです。

● 兆候②:「自分がやらないと回らない」と思い込んでいる

「他の人は忙しそうだし」「自分が担当だから」
そんな思いから、ついつい何でも自分で抱え込んでしまう教員がいます。

その姿は周囲から見ると頼もしく映りますが、本人の中では、

  • 負荷の自覚がないまま、タスクが雪だるま式に増えていく
  • 相談のタイミングを見失う
  • 「助けて」が言えなくなる

という危険な状態に陥っている場合があります。

“責任感”と“孤独感”が入り混じったこの兆候は、特に注意が必要です。

● 兆候③:「忙しい」が口癖になる/雑談が減る

日々の会話の中で、「忙しい」「今手がいっぱいで…」という言葉が頻繁に出てくるようになったら、黄色信号です。
また、それに加えて雑談や冗談が減っている状態も要注意。

  • 職員室でのちょっとした会話が減る
  • 休憩時間も業務をしている
  • 笑顔が少なくなる

これは精神的に“緊張しっぱなし”の状態。まるでゴムがずっと引っ張られているように、張り詰めた空気の中で日々を過ごしているサインです。

● 兆候④:授業外の時間が明らかに長くなっている(業務過多)

探究は準備や調整に時間がかかる分、授業時間外での作業が増えやすいのが特徴です。

  • 早朝や夜遅くまで校内に残っている
  • 家に持ち帰って作業している
  • 他の教員が知らないうちに教材が完成している

これが“常態化”していたら危険です。
本来、教育活動は一人で完成させるものではないはず。自分の生活や体力を犠牲にしてまで成り立っている運営は、どこかで必ず破綻します。

● 教員は「頑張りすぎ」を誰も止められない

問題は、これらの兆候があっても、周囲が気づきにくく、本人も自覚しにくいことです。
なぜなら、「あの先生はいつも頑張っているから」という“期待”が、逆に疲弊のサインを見えづらくしてしまうからです。

だからこそ、“熱意の裏にある無理”に気づき、それを“責任”ではなく“チームで支えるべき状態”ととらえる視点が必要になります。

「放置せず、介入しすぎず」──組織としてできる3つの予防策

燃え尽き症候群は、決して個人の問題ではありません。
むしろその多くは、「頑張りが当たり前になってしまう」組織文化や構造が背景にあります。

大切なのは、「熱心な教員を讃える」ことではなく、「熱心な教員を孤立させない」こと。
放置もしない、でも過干渉にもならない──
そうした中庸の支え方を、学校というチームでどう実現していくかが鍵となります。

ここでは、実際に現場で効果のあった3つの予防策を紹介します。

● ① 対話の定例化:「余白のある会議」がチームを救う

多くの学校では、探究担当者が定例的に進捗報告や情報共有をする場が設けられています。
しかし、それがただの“報告の場”になってしまうと、肝心の「本音」や「疲れ」が表に出にくくなります。

私たちはそこに“余白のある会議”という視点を持ち込みました。

  • 毎週の探究ミーティングの冒頭5分を「雑談タイム」にする
  • 進捗の確認だけでなく、「最近どう?」と聞き合える空気を意識する
  • 成果だけでなく「うまくいかなかったこと」も歓迎する雰囲気をつくる

こうすることで、教員同士の関係性がフラットになり、「しんどい」と言える安心感が育ちます。

● ② 役割の見える化と分担:ひとりに仕事が集中しない構造をつくる

“仕事ができる人に仕事が集まる”という構造は、学校でもよく見られます。
とくに探究のように“見えづらい業務”では、気づけば特定の教員が水面下で大量の業務を抱えているということも少なくありません。

私たちはこれを防ぐために、タスクの可視化と分担の明文化を徹底しました。

  • 進捗管理、教材作成、外部連携、記録管理などを項目化し、分担表を作成
  • 毎月1回は「誰が何をやっているか」の棚卸しを実施
  • “助けてほしい人が挙手する”のではなく、“周囲が助けにいける仕組み”をつくる

こうした工夫により、“任せること”が「丸投げ」ではなく「信頼」になる感覚が、チーム内に根づいていきました。

● ③ 評価の再設計:「やっている量」より「継続できる設計」に価値を置く

教育現場では、無意識のうちに「頑張っている人が評価される」構造ができあがってしまいがちです。
しかし、それは燃え尽きへの一本道でもあります。

私たちは、評価や称賛の文化にも小さな転換を加えました。

  • 「一人で全部やった」は賞賛ではなく、「それ、分担できる仕組みにしよう」と声をかける
  • 業務量ではなく、“次年度にも引き継げる工夫”にフォーカスして評価する
  • チームで継続できる形をつくった教員を、「先を見据えたリーダー」としてリスペクトする

このように、“量”ではなく“持続性”を評価するマインドセットの共有によって、教員が頑張りすぎなくても安心できる土壌が育ってきました。

● 頑張りを支えるのは、声かけではなく“構造”である

教員に「無理しないでね」と声をかけることは大切です。
でも、それだけでは何も変わりません。

本当に必要なのは、頑張らなくても回る仕組みをつくること。
そして、そうした構造をチーム全体で共有し、支え合う文化を少しずつ育てていくことです。

本人が“気づく”ことも大切──自己チェックのための3つの問い

燃え尽き症候群の厄介な点は、当の本人が「疲れていること」に気づかないことが多いという点です。
むしろ、やりがいを感じている時ほど、無理をしている自分に鈍感になりがちです。

周囲が気づいて声をかけることも大切ですが、それと同じくらい重要なのが、本人自身が「今の自分の状態」に気づけるようになることです。

そこで、私たちは探究担当者のチーム内で共有している、自分自身の“こころの状態”を見つめるための3つの問いをご紹介します。

● 問い①:「最近、人に頼れているか?」

これは非常にシンプルですが、深い問いです。

  • 自分ひとりで何でも抱え込んでいないか
  • 「ちょっとこれお願いしてもいい?」と、自然に言えているか
  • 「お願いされる側」ばかりになっていないか

人に頼ることは、無責任でも、甘えでもありません。
信頼されているからこそ、頼ることができるのです。

この問いに「うーん…」と詰まるようなら、それは「頼れない状態」に自分を追い込んでしまっているサインかもしれません。

● 問い②:「授業以外の時間で、好きなことできているか?」

探究の準備や対応で、プライベートの時間が削られていませんか?
仕事が終わった後、「今日はゆっくりごはんが食べられた」「趣味に没頭できた」と思える瞬間はありますか?

  • 仕事以外の時間に“心から楽しい”と思えることがあるか
  • 平日の夜や週末に、“誰のためでもない時間”を過ごせているか

これは、心に“余白”があるかどうかをはかる大切な視点です。

探究に全力投球することは尊いことですが、それが“生活のすべて”になってしまうと、いつか限界が訪れます。
「教育」以外の“好き”を、大切にしているかどうかが、実は心のバランスを整える大きなヒントになります。

● 問い③:「楽しさよりも“義務感”が強くなっていないか?」

探究に携わる教員は、そもそも新しい教育に魅力を感じ、自ら志願した人が多いはずです。
しかし、日々の忙しさや責任感、周囲の期待が重なると、“楽しさ”が“義務感”にすり替わってしまう瞬間が訪れます。

  • 「やらなきゃ」という感覚が増えていないか
  • 失敗を恐れて“守りの運営”になっていないか
  • 「また一週間始まってしまった…」と感じることが増えていないか

これらはすべて、心の余裕がなくなり、“教育の喜び”から遠ざかっているサインです。

「なぜ自分は探究をやっているのか?」という原点に立ち返る時間を持つことが、リカバリーのきっかけになります。

● 自分を見つめる時間もまた、“教育活動”の一部

教師はつい、「生徒のために」「学校のために」と、自分のことを後回しにしがちです。
でも、持続可能な教育のためには、教員自身の健やかさが不可欠です。

この3つの問いは、誰かに提出するものでも、評価されるものでもありません。
でも、もしどこかにひっかかる感覚があるのなら、それは「ちょっと立ち止まっていいよ」という自分からのサインかもしれません。

学校文化を変える小さな一歩──「頑張りを美徳にしすぎない」ことから始めよう

教員が燃え尽きてしまう最大の原因は、実は「仕事が多すぎる」ことだけではありません。
もっと根深いのは、“頑張ることが当たり前”という学校文化です。

  • 忙しい=すごい
  • 遅くまで残っている=熱心
  • なんでも一人でこなしている=頼れる

こうした“美談化”された価値観が、教員の疲弊を見えにくくし、「もっと頑張らなきゃいけない」という無言のプレッシャーを生み出しています。

本当に探究を“続けられる教育”にするためには、この文化そのものを少しずつ問い直す必要があります。

● 「すごいね!」の代わりに「助かったよ、ありがとう」

誰かが頑張っている姿を見たとき、つい「すごいですね!」「尊敬します!」と言ってしまいがちです。
でも、それが繰り返されると、相手は**“頑張り続けなければいけない存在”**になってしまうこともあります。

そこで意識したいのが、「感謝」と「労い」の言葉を中心にすることです。

  • 「あれ対応してくれてたんですね、助かりました」
  • 「あの資料、すごく使いやすかったです。ありがとう」
  • 「今日の進行、安心して任せられました」

そんな声がけが、教員のモチベーションと心の健康を同時に支えてくれます。

● 頑張らないことが許される“余白”をデザインする

全力投球することも大切ですが、すべての瞬間を100%で走り続けることは不可能です。
だからこそ、意図的に「力を抜ける場所」「休んでも大丈夫な空気」を学校の中に設けることが重要です。

  • 週に一度の「報告なしの放談タイム」
  • 探究の「手抜きOKウィーク」など、軽めの週の設計
  • 「うまくいかなかったこと」を語る時間

こうした“意図的な脱力”が、逆に教員の創造性や継続力を育てます。
余白は怠慢ではなく、持続可能性のための戦略なのです。

● 継続は熱意ではなく、“仕組みと文化”が支える

私たちはしばしば、教育改革や探究学習を「熱意ある教員が牽引してきた」と表現します。
確かに、それは事実です。

でも、未来の学校を考えたとき、「熱意のある人がいなくなったら終わり」では困るのです。

だから必要なのは、熱意に頼らずとも回る仕組み、そして頑張りすぎなくても認め合える文化です。

  • 支え合いを前提にした運営構造
  • 小さな工夫に価値を置くマインドセット
  • 「完璧じゃなくていい」を言い合える関係性

そうした文化が育っていけば、探究は“持ちこたえる教育”ではなく、**“根づく教育”**になります。

🎯さいごに:心と教育の、どちらも壊さないために

燃え尽きた教員の数だけ、学校が失った可能性があります。
本気で教育に向き合う人ほど、静かに壊れていくことがある。
だからこそ、先に構造を変える。先に文化を問い直す。

「大丈夫?」と声をかけるのは、遅すぎることもあるから。
今日からできる、小さな一歩が、未来の学校を変える力になります。

「頑張りすぎているかも」と感じた先生方へ。
探究を続けるために、まずは“自分の心”を守るところから始めませんか?

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